なぜラーニング必要なのか?
ロータリーに入会すると、様々なセミナーやラーニングがあることに驚きます。昨日は地区の三大研修のひとつ、「地区ラーニング協議会」でした。私は次年度のガバナー補佐と会員増強委員長として出席致しました。全大会での延岡ガバナーエレクトの次年度のRI並びに地区方針、硯川ラーニングファシリテーターの行動計画についての講話、膳所パストガバナーのグローバル補助金の講話は、今後のクラブ運営に関するティップスがちりばめられていて、あっという間に時間が経ちました。
ロータリーでは、なぜこんなにラーニングや学びを重視されるのでしょうか?
会員のみなさまは、ロータリーの入会資格をクリアして入会された立派な社会人で、自分の仕事だって成功しているのに、これ以上何を学ぶ必要があるのだろうか?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。私自身も入会して間もないころ、自分の職業そのものが人に対する奉仕のようなものなのに、なぜことさらに奉仕について学ぶ必要があるのかな?と感じたこともありました。
ロータリーはご存じのように、誰でも入会できる組織ではありません。会員資格というのが定款に定められているのをご存じでしょうか?
国際ロータリーの標準ロータリークラブ定款には、会員の資格として「善良さ」「高潔さ」「リーダーシップ」を身をもって示し、社会において良い評判を得ていること、そして地域や世界に奉仕する意欲を持つ成人であることが求められています。これは単なる条件ではありません。私たち一人ひとりが、すでに社会から信頼され、期待されている存在であるという証でもあります。
思い返してみてください。私たちは自ら志願しただけでなく、私自身も含めて、全員が、誰かから推薦され、このクラブに迎え入れられました。それは「あなたなら、この理念を体現できる」と認められたからにほかなりません。その事実は、私たちにとって大きな誇りであると同時に、静かな責任でもあります。
「ロータリアンになること」と「ロータリアンであること」は、似ているようで、実は大きく異なると私は思います。
「ロータリアンになること」とは、推薦を受け、入会し、名簿に名前が載ることです。いわば“入口”であり、資格を得ることです。そこには、これまで築いてきた信頼や実績があり、「あなたならふさわしい」という周囲の評価があります。しかし、それはあくまでスタートラインに立ったに過ぎません。
一方で「ロータリアンであること」とは、その後の“在り方”です。日々の言動や価値観の中に、ロータリーの理念がどれだけ息づいているか。仕事に対する誠実さ、人への思いやり、社会への責任感——そうしたものを通して、自らがロータリーを体現している状態を指します。つまり、「なること」が一度の出来事であるのに対し、「であること」は生涯続くプロセスなのではないでしょうか。
では、その違いを埋めていくものは何でしょうか。私はそれが「学び」だと思います。
ロータリーの理念や歴史、活動の意義を学ぶことは、単なる知識の習得ではありません。それは、自分自身の価値観を磨き、行動の指針を見つめ直す機会です。たとえば「超我の奉仕」という言葉一つをとっても、その意味を深く理解しようとする中で、自分の行動が本当に他者のためになっているのかを問い直すことができます。
また、例会や研修、他クラブとの交流は、単なる“出席”ではなく、“気づきの場”です。多様な経験を持つ仲間の話に耳を傾けることで、自分では気づかなかった視点に出会い、視野が広がっていきます。その積み重ねが、「ロータリアンであること」を少しずつ形づくってくれていると、日々実感しています。
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もし学ぶことをやめてしまえば、「ロータリアンになった」という事実だけが残り、「ロータリアンである」という実感は次第に薄れていくかもしれません。逆に、学び続ける人は、たとえ経験が浅くても、確実に“ロータリアンとしての深み”を増していきます。
だからこそ、私たちは問い続けたいのです。
「自分は、ただロータリアンになっただけで満足していないだろうか」
「ロータリアンであるための努力を、日々重ねているだろうか」と。
ロータリーは、完成された人の集まりではありません。学び続け、成長し続けようとする人の集まりです。その中で、互いに刺激を受けながら、自らの在り方を高めていく——そこにこそ、ロータリーの大きな価値があります。
「なること」から「であること」へ。
その歩みを支えるのが、真摯な学びと理解を深めようとする姿勢だと思います。
ロータリーは、選ばれた人の集まりではなく、「選ばれ続ける努力をする人」の集まりです。その一員として、これからも共に学び、歩んでまいりましょう。







